宣伝広告を飾る映画、演劇のスターたち昭和の前期は映画、演劇が活発になり、それとともに映画スター、演劇スターを活用した宣伝広告が盛んになる。化粧品メーカーの中にもPR映画製作に乗り出す会社もあり、昭和六年には「ヘチマコロン」の天野源七商店がトーキーPR映画『ヘチマは踊る』を製作している。また、電通発行の『広告五〇年史』によると、「業界内においては『すでにクラブが松竹とタイアップし、化粧品会社が映画のなかに広告を挿入する方法に最初に注目したのは大阪の中山太陽堂であった』。当時水谷八重子の出演する松竹映画には必ずクラブ乳液の宣伝があるといわれていた」と記述されている。昭和九年にはクラブは全国各地でクラブ歯磨愛用者優待映画会を開催、『月よりの使者』『東洋の母』など松竹映画とのタイアップ宣伝が盛んに行われた。当時化粧品メーカーと映画スターとのタイアップは、クラブが水谷八重子・入江たか子、資生堂が原節子、御園が及川道子、が松井千枝子、男性俳優ではマスターが林長二郎(後の長谷川一夫)などである。レートさらに、ヘチマコロンが昭和八年片岡千恵蔵の相手役女優を募集、九年にはウテナが新人映画女優を公募するなど話題に事欠かない。また、映画スターには日本だけでなく外人スターの起用も行われ、桃谷順天館は昭和一一年に、大阪朝日新聞の広告で外国女優フォックスターを起用し、混品の明色クリンシンクリームを宣伝した。資生堂では「資生堂クリーム白粉」の宣伝で「或る日のディトリッヒ」としてマルレーネーディートリッヒを起用したブロマイドを女学校で配付している。
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