その幅六〇センチのネイルデスクを中心にして向かい合うこと一時間。お客様の手のマッサージや爪の手当をしながら世間話や身の上話をうかがっていますと、自然に心が通いあってきます。それはきっと目に見えない心の血管があって、二人をつなぎ血を通い合わせているのかも知れないな、とさえ思うことがあります。お話をうかがっていますと、「ああ、人はそれぞれに、さまざまな人生を歩んでいらっしやる」ことを、あらためて教えられます。これまでの自分の生き方が反省されたり、勇気づけられたり……。手をつなぐことがどんなに素晴しいことかは、とても表現することはできません。お客様から心をゆたかにしていただく機会の多いこの職業が、ときにはもったいなくなることさえもあります。きのうお見えになられた中年の女性は、海外生活を長く経験なされた方でしたが、日本人がともすれば指先の手入れをなおざりにしがちな原因は、マナーの違いなのかも知れないとおっしやいました。なるほどこれは鋭い観察です。日本人のあいさつは、おたがいが身体を曲げて頭を下げるおじぎです。これは長いあいだ日本人にしいられた服従の歴史が今に生きているのでしょう。かつての庶民は権力者に、女性は男性にたいして身を屈することで社会や家庭の平和を保ってきました。表面的には平穏に見えますが、屈従という犠牲があったと思うのです。欧米の人びとのあいさつは握手で、対等な立場から相手を尊重し、親しみの情を表し、通い合わせることがマナーです。しかも手と手が握り合わされるときのスキンシップが、心をしっかりと結び合わせるのです。さてこの二つのマナーは手を必要とするかしないかの違いだけではありません。常日ごろのあいさつに、握手をするためには自然に手を美しく保つことが相手に対する尊重の心の表現となるのです。相手に「自分の手・指に不快感を与えない」というところまで、握手のマナーは高まっていったのだと考えられます。これに対しおじぎの場合、手には握手ほどの気づかいはしなくてもすむのです。(昔の女性は手先を袖の中にかくしてシナを作り、女性らしさを表現したものでした)今日では、そんなマナーの歴史の違いは、しかしもう過去のもので、私たちはこれから国際的なマナーの場に出る機会が多くなります。今よりもさらに手を美しく、そして清らかな指で、日本人の心を表現したいものです。爪のおしゃれはこれまでわが国ではいくらか間違った見方を受けてきたようです。それはまったく爪に無関心な時代から、急に一時を風麿したネイルアート、新しさに対する興味だけのはでなデザインネイルがあまりにも強いイメージを与えすぎたようです。だから一過性(「禍」という字が使いたいほど)のブームに終わってしまったのでした。